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杉本裕太郎選手・通算100号本塁打記念碑制作へ。あの宮古島の日々が、形になる。

2026年6月14日

「今までの自主トレで一番良かった。最高でした。

2026年1月、沖縄・宮古島。自主トレの最終日に杉本裕太郎選手が残したその言葉を、林歳彦はまだはっきりと覚えています。

あの日々が動き出したのだと思いました。縁というのは、こういう形で続いていくものなのかもしれない——と。

このたび、ハヤシコーポレーションは、オリックス・バファローズ所属の杉本裕太郎選手が今シーズン目標に掲げる「通算100号本塁打」の達成を記念する記念碑の制作を受注しました。あの宮古島で芽生えた縁が、ひとつの形になろうとしています。


始まりは、ラジオのひと声から

きっかけは、2024年12月のラジオ番組でした。

杉本選手が出演する番組を通じて接点が生まれ、食事の席で宮古島での活動について話が弾んだ。その流れで杉本選手から出た一言が、すべての始まりでした。

「じゃあ、宮古島で自主トレの帯同をしてほしい。」

林はボクシングトレーナーの経験はあっても、野球の知識はほぼゼロ。それでも、頼まれたことに100%で応えるのが林歳彦という人間です。迷いなく引き受けました。

それは「できるかどうか」で判断する話ではなかった。出逢いというものは、いつだって自分の想定を超えたところからやってくるものだと、林は知っていたから。

宮古島の伊良部球場で過ごした19日間

2026年1月6日から1月24日。沖縄・宮古島の伊良部球場に、杉本裕太郎選手・大城滉二選手・西野真弘選手が集結しました。その招致から現地アテンドまでを担ったのが、ハヤシコーポレーション代表・林歳彦です。

前年の自主トレ資料を取り寄せ、宮古島で積み重ねてきたネットワークを総動員。練習環境・宿泊・移動・食事・サポート体制——細部まで徹底的に整え、選手が「野球にだけ集中できる環境」を構築しました。

ただの調整期間にしない。オリックスが日本一になること、選手の個人成績が向上すること。そこまでを思い描いての準備でした。

選手たちが宮古島入りした初日、林がまず伝えたのは環境の説明ではありませんでした。

「俺のことはトッティと呼んでくれ。みんなのことも下の名前で呼ぶ。遠慮がある関係性では、最高の環境は作れない。」

選手たちは笑いながら戸惑っていた。でもその日から、上下ではなく、並走する関係性が始まりました。

自主トレが持つ、もうひとつの意味

選手が自主トレにかける想いは、想像以上のものがあります。「他の選手と差をつけるための期間」——その言葉を聞いたとき、林は改めて覚悟を決めました。どんな要望にも応える、と。

足りない備品があれば現地で補填し、周辺の施設を押さえ、同じ日程で宮古島入りしている選手との連絡も取り持つ。毎日現場に立ち、選手とコミュニケーションを積み重ねました。

自主トレはそれだけではありませんでした。オリックス選手とのサンゴ苗付け体験、宮古島市副市長への表敬訪問、地元少年野球チーム「宮古島ドリームス」での1日野球スクール——。プロ野球選手の存在は、島の子どもたちにとって夢そのものです。グラウンドに立つ姿、直接教えてもらえる時間。それは一瞬かもしれないけれど、心には残り続けます。

宮古島で長年積み重ねてきたつながり。トレーナーとしての知見。スポーツを通じて子どもたちに夢を届けたいという想い。あの19日間は、林のこれまでの活動がすべて集約された時間でもありました。

そして最終日。杉本選手の言葉が、すべてを物語っていました。

「今までの自主トレで一番良かった。最高でした。」

縁は、形になる

今回、ハヤシコーポレーションが手がけるのは、杉本裕太郎選手の通算100号本塁打達成を記念する記念碑です。

杉本選手は今シーズン、通算100本塁打という大きな目標を掲げています。選手にとって、その節目に刻まれる記念碑は単なるオブジェではありません。積み重ねてきた時間と、支えてくれたすべての人への感謝が、形になったものです。

その制作をハヤシコーポレーションに依頼してくれた。その事実が、林にはたまらなく嬉しかった。

あの宮古島での自主トレ帯同は、「この仕事を取りたい」という打算で動いたものではありません。ただ頼まれたから、全力で応えた。選手の目標達成のために、できることをすべてやり切った。その積み重ねの先に、この依頼があった。

ハヤシコーポレーションが長年大切にしてきた「縁」という言葉の意味を、改めて教えてもらった気がします。

自主トレに価値がある。それを証明してくれたのは、言葉ではなく、この依頼そのものでした。

記念碑に込めたいもの

制作はこれからです。どんな形になるか、まだすべては決まっていません。

でも、ひとつだけ確かなことがあります。それは「この記念碑は、杉本選手の100本だけを祝うものではない」ということ。

夢を持ち、それに向かって走り続けた時間。日々の練習、自主トレで積み上げた汗。宮古島の青い空の下で過ごした19日間。関わったすべての人の想いが、その一枚・一体に宿るものにしたい——林はそう思っています。

メモリアルな瞬間に立ち会えること。それはハヤシコーポレーションにとっても、特別な仕事です。


2024年12月、ラジオ番組のご縁から始まった出逢い。2026年1月、宮古島で過ごした19日間。そして今、ひとつの記念碑という形へ。

振り返ってみれば、どの瞬間も、必然だったような気がしてきます。

杉本裕太郎選手が100号ホームランを放つその日を、私たちもグラウンドの外から、全力で信じています。

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